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takako3599@fedibird.com
<p>読んだ本 これから読みたい本のメモ 思うことなど トランス差別に反対しています<br />takako3599@ohai.social こっちも</p>
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「私たちの憐れみは正午の影のように短く、私たちの羞恥心は真夜中の影のように長い」チン・ウニョン 『目の眩んだ者たちの国家』 https://www.shinsensha.com/books/1043/
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“なんでこんなに理不尽な対応になるのか。 一番の理由は、生活保護を利用することを「さもしい」とか「恥だ」とか言って、違法な引き下げを主導した高市早苗氏や片山さつき氏らが総理大臣や財務大臣として未だに政権の中枢にいることにある。 私たちが求めているように第三者による検証委員会を設置して保護基準引き下げの経緯や原因追及を行なえば、安倍元首相や片山氏らの責任が問われることになる。それは直接の当事者である片山氏や安倍氏の後継者と言われる高市首相としては受け入れがたいことだろう。だから、本判決の意義や影響をできる限り小さく抑えたいのだ。” 判決に従わない政府――いのちのとりで裁判の現在 小久保哲郎(弁護士。いのちのとりで裁判全国アクション事務局長) 2026/03/27 https://chihei.net/?p=7271
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“武相困民党の史料のなかには、須長の書き付けが残っており、そこには次のような有名な下りがある(『日本近代思想体系』21)。 「私立銀行・金貸会社においては、これまで窮民を圧倒する甚だしく、その返報〔報い、仕返し〕としては(一時に来す土崩瓦壊は、この掌を返すに似たり)一夜のもとに建造物は灰燼となし、一時のうちに斬に処し、骸は街の梟首に掛け、遺体は原野に鳥獣の腹を肥やし、その心地よきを見て、初めて懐復の志望を起こすものなり。」” 『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』 https://www.chuko.co.jp/shinsho/2020/08/102605.html
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“青い芝の会は、親を含めた「健全者」の心には、障害者への殺意が潜んでいるのだと批判しました。殺意は「殺される側」にいるからこそ見えるものです。殺意を向けられた者は、自分に向けられた殺意を何か別のもの(例えば悲観や同情)に置き換えることなどできません。” 『障害者差別を問いなおす』 https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784480073013
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“ファシズムがいつもそうであるように、今日のハルマゲドン・コンプレックスは階級の境界を越え、億万長者とMAGAの基盤を結びつけている。数十年にわたる経済的ストレスの深刻化と、労働者同士を対立させる絶え間ない巧妙なメッセージにより、多くの人々が周囲の環境の崩壊から身を守ることができないと感じているのは当然である(調理済み食品を何ヶ月分買っていても)。しかし、感情的な補償も提供されている。あなたは積極的差別是正措置やDEIの終了を歓声で迎え、大量国外追放を賛美し、トランスジェンダーの人々に対する性別適合ケアの拒否を楽しみ、自分たちの方が自分たちよりよく知っていると思っている教育者や医療従事者を悪者にし、リベラルを名乗る手段化している経済規制や環境規制の廃止を称賛することができる。終末論ファシムは暗く祝祭的な宿命論である。序列化なしに生きることを想像するより、破壊を祝うことが容易だと感じる人々にとっての最終的な逃げ道なのだ。” ナオミ・クライン「終末論ファシズムの台頭」抄訳公開 2025-06-03 14:47 https://thirdfemi.exblog.jp/37972687/
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“政治感覚は庶民感覚から遊離してはならない理由のもう一つは、国会は億や兆を単位とする予算案を使って国民の生をどう厚くしていくかを審議する場所だからである。財布に残された柴三郎や梅子や栄一たちをバランスよく用いる感覚が議員になければ、国は狂う。たとえば、1941年には、日本は国家予算(一般会計および特別会計)のうち4分の3を超える金銭を軍事費に振り向けたのだが、そんなふうな、暴力夫の酒代に妻の裁縫の賃金が注ぎ込まれるような財布の感覚は、もう二度と復活してはならない。” 庶民感覚論――おでんを手がかりに 2026.03.13更新 https://www.mishimaga.com/books/tamiron/007321.html
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“当然の権利、と人は言いますが。 力の強い人たちによって富もケンリも独占され 貧しく弱い者はその当然のものを 素手で勝ちとるほかない さびしい季節に生まれました。 もういちど申します。 最低限度の生活を維持したいのが 私の願いでした。 国はそれを保障してくれたことがありません。 国とは何でありましょう。 おかしな話になりましたが その単純さで ケンポーは自分のものだと思っています。” 石垣りん『たそがれの光景』(「とうきょう広報」増刊号、一九七四年)より
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晴着を持たないひとりの女が外から帰り すり切れた畳の部屋で 「ついこの間 一杯の塩もない新年があった」 と呟きながら 餅焼網で餅を焼けば 白い餅よりもたしかな手ざわりで 喜びはかなしみに 愛はいかりに、裏返され。 しかも家族はめでたくて 地続きに住む雲上人の御慶事に 目を輝かせているばかり。 日、とは抽象。 御子、は尊称。 そこぬけに善意の御方とうかがえば 善とは何でありましょう。 あなたはどなたでいらっしゃいますか。 『愚息の国』石垣りん
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“怖るべき生活難の時代であった。それは難であっただけではなく、たとえば同じ時代を扱った野間宏が書いているように、積極的に、「戦乱で、どろぼうをしなければ生きられない、あるいは人を傷つけなければ生きられなかった。」時代であった。官について、家職の相続者として威張りたいという心はあったであろう。しかし実状のところでは生活が出来なかった。妻や子を養えなかった。別に観念としての無常ということに気を入れたりしなくても、実際問題としてやって行けなかった。すさまじいまでに、「狂せる」かと思われるまでに、近親者を蹴落とさなければならなかった。” 7 世にしたがへば、身くるし 『方丈記私記』堀田善衞 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480022639
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“なぜ、アウシュヴィッツの生き残りが、「人間であることの恥」に苦しまねばならないのか?恥じることを知らない加害者の恥までも、被害者が引き受けて苦しまねばならないという、この不条理な転倒が起きるのは、なぜなのか? その理由は、彼らが「汝の敵を愛せ」という教義を実践する高徳の聖人だからではない。 彼らは自ら「ユダヤ人は人間以下である」という思想の犠牲にされたが故に、その思想に対して、人間はみな等しく「人間」であるという思想を対置しなければならない関係に立たされるからだ。「ドイツ人」といえども、もちろん人間の例外ではない。ひとたび破壊された人間という尺度を再建しようとする限り、「人間」の犯す罪は否応なく彼ら自身に背負わされるのである。 「人間以下」とされたのはユダヤ人だけではない。「ジプシー」と蔑称されるシンティ・ロマの人々やアフリカ人も、ナチからみれば人間以下であった。同性愛者や心身障害者もそうである。ナチにとってポーランド人やロシア人などのスラブ人は将来奴隷とされるべき「低級人間(ウンターメンシュ)」であった。” 『プリーモ・レーヴィへの旅』 https://www.koyosh...
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“……外国人への排他的な言動や扱いは表出のあり方や官民という次元を異にしながらも、この社会において連綿と続いてきた現象である。在日外国人たちの生命や生活や生涯――すべてひっくるめて生 Lifeとしよう――が、市井の人々によって、また公的な制度によって軽んじられてきた事例は枚挙に暇がない。それらは1923年9月関東大震災時の朝鮮人虐殺や、2010年前後から始まった公道で下劣を競い合うヘイトスピーチのように、耳目を集める事件としてのみ現出するのではない。むしろ日常生活のあらゆる局面に潜んでおり、外国人の生を支える様々な制度にすでに埋め込まれているのだ。そして当事者でない人々はそのことに気づくことが難しい。” 在日外国人の生と構造的差別:植民地主義とポジショナリティから考える(鳥取大学地域学部人間形成コース准教授:呉永鎬) # トラウマを考える2025年10月10日 17:00 https://www.note.kanekoshobo.co.jp/n/n6c5d5940e16e
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『ある視点からすればいわゆる気が狂う状態とてもそれが抑圧に対する反逆として自然にあらわれるかぎり、それじたい正常なのです。』 “精神病への偏見がいまよりもずっと強かった一九七四年、「全国『精神病』者集団」という団体が結成された。「精神病者」が連帯して差別や偏見に立ち向かい、患者の人権を軽んじる精神科医療の問題を厳しく指摘した団体だ(いまもし続けている)。 引用したのはここに参加した吉田おさみ(一九三一~一九八四年)の言葉。当時、「心を病む」ことは、「その人が弱い・悪い・おかしい」で片付けられていた。心を病んだ人は、とにかく薬を飲ませておくか、長期入院させておけば「問題は解決した」と考えられていた。 その理不尽さに対して、吉田おさみは黙っていなかった。心を病むのは〈抑圧に対する反逆〉として〈正常〉なのだと言い切った。この言葉のすごいところは、返す刀で「では異常なのは何? 誰?」という問いを突きつけてくるところだ。” #読書 まとまらない言葉を生きる 荒井 裕樹 著https://www.kashiwashobo.co.jp/book/9784760153497