2026-01-16 14:08 UTC
“怖るべき生活難の時代であった。それは難であっただけではなく、たとえば同じ時代を扱った野間宏が書いているように、積極的に、「戦乱で、どろぼうをしなければ生きられない、あるいは人を傷つけなければ生きられなかった。」時代であった。官について、家職の相続者として威張りたいという心はあったであろう。しかし実状のところでは生活が出来なかった。妻や子を養えなかった。別に観念としての無常ということに気を入れたりしなくても、実際問題としてやって行けなかった。すさまじいまでに、「狂せる」かと思われるまでに、近親者を蹴落とさなければならなかった。”
7 世にしたがへば、身くるし
『方丈記私記』堀田善衞
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480022639
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@takako3599@fedibird.com 2026-01-16 14:14
“神官、宗教者としての彼らがこういうことをやっている間に、法然、親鸞、日蓮などの新興民間宗教が、ここでもすさまじいばかりの思想弾圧に耐えて、人々の心のひだに食いいって行ったのだ。親鸞は宗教者としての真の発足をするにあたって、つまりは教行信証の末尾に、朝廷一家に対する絶縁状、激烈な弾劾を叩きつける。「主上臣下、法にそむき義に違し、いかりをなしうらみをむすぶ。」主上は天皇、臣下は貴族たちである。そうして、今様に言えば民衆のなかに入って行く。すなわち、親鸞は流罪に処せられる。人は流罪に処せられてはじめて民衆を知るのである。言っておきたいのだが、この流罪ということと民衆を知るということとは直通したことである。論理が少々飛躍をすると見えるかもしれないけれども、ものを考えることを業、あるいは業とするほどに思い上った者が、罰せられずして民衆を知ったりすることが出来るわけがない。” 7 世にしたがへば、身くるし 『方丈記私記』堀田善衞 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784480022639