2026-03-13 10:59 UTC
“政治感覚は庶民感覚から遊離してはならない理由のもう一つは、国会は億や兆を単位とする予算案を使って国民の生をどう厚くしていくかを審議する場所だからである。財布に残された柴三郎や梅子や栄一たちをバランスよく用いる感覚が議員になければ、国は狂う。たとえば、1941年には、日本は国家予算(一般会計および特別会計)のうち4分の3を超える金銭を軍事費に振り向けたのだが、そんなふうな、暴力夫の酒代に妻の裁縫の賃金が注ぎ込まれるような財布の感覚は、もう二度と復活してはならない。”
庶民感覚論――おでんを手がかりに
2026.03.13更新
https://www.mishimaga.com/books/tamiron/007321.html
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@takako3599@fedibird.com 2026-03-13 10:59
“しかしながら、『産經新聞』のコラムにも傾聴に値するところがある。もっと庶民感覚に根差した政治が切望されるとしても、政治とは原則として庶民の人気取り、自身の好感度アップとは違う次元にあるのであり、政治感覚と庶民感覚は近づきすぎてはならない、という指摘である。平均的庶民の138倍も外食費用を政治資金として支出できる政治家への非難はやがて、カップ麺をよく食べます、朝は卵かけご飯と味噌汁を食べています、漫画が大好きです、安くてかわいいボールペンを使っています、という庶民感覚の守り手を演じる政治家、つまりポピュリストに票が集まる土台を築き上げる。” 庶民感覚論――おでんを手がかりに 2026.03.13更新 https://www.mishimaga.com/books/tamiron/007321.html