2026-01-17 12:17 UTC
“けれども、この現代においてすら、彼の死後七百五十年以上もへた現代においてすら、長明の否定者であるためには、われわれの全歴史の否定者でもあらねばならぬという至難の条件がともなっているのである。そういう万貫の盤石を持ち上げて歴史の根石もろともに投げ捨てるにひとしい強力な否定者というものも、「主上臣下、法にそむき義に違し、いかりをなしうらみをむすぶ。」と、叩きつけるように言った親鸞以外には、なかなかに見出だしがたいのである。”
7 世にしたがへば、身くるし
『方丈記私記』堀田善衞
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@takako3599@fedibird.com 2026-01-17 12:20
“「流刑さらにうらみとすべからず(中略)、念仏の興行、洛陽にしてとしひさし、辺鄙におもむきて田夫野人をすゝめん事、年来の本意なり、しかれども時いたらずして、素意いまだはたさず、いま事の縁によりて、年来の本意をとげん事、すこぶる朝恩ともいふべし。(中略)われたとひ死刑にをこなはなるとも、この事い(言)はずはあるべからず。」(法然上人行状絵図) そうして四十年後の親鸞の言葉、 「主上臣下(天皇及び貴族)、法に背き義に違し、忿(いかり)をなし、怨(うらみ)を結ぶ。」 これらは二つながらに流罪によって京を離れ、民衆組織のために下って行く革命家たちのことばである。 しかしこの下層からの突起としての思想が、如何にして上層に巧みに吸い上げられて行って、ついに、たとえば大谷家が天皇家の親戚になってしまい、また如何にして親鸞のいわば異端的「無教会主義」(赤松俊秀氏)、あるいはアナーキズムが、ついに最大の教団と大伽藍を形成するに到ったか、二つながらに、思想史を考えるについて欠くべからざる命題であろう。” 近日、時儀更ニ測リ難シ 『定家明月記私抄』堀田 善衞 https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082855/