2026-01-17 12:20 UTC
“「流刑さらにうらみとすべからず(中略)、念仏の興行、洛陽にしてとしひさし、辺鄙におもむきて田夫野人をすゝめん事、年来の本意なり、しかれども時いたらずして、素意いまだはたさず、いま事の縁によりて、年来の本意をとげん事、すこぶる朝恩ともいふべし。(中略)われたとひ死刑にをこなはなるとも、この事い(言)はずはあるべからず。」(法然上人行状絵図)
そうして四十年後の親鸞の言葉、
「主上臣下(天皇及び貴族)、法に背き義に違し、忿(いかり)をなし、怨(うらみ)を結ぶ。」
これらは二つながらに流罪によって京を離れ、民衆組織のために下って行く革命家たちのことばである。
しかしこの下層からの突起としての思想が、如何にして上層に巧みに吸い上げられて行って、ついに、たとえば大谷家が天皇家の親戚になってしまい、また如何にして親鸞のいわば異端的「無教会主義」(赤松俊秀氏)、あるいはアナーキズムが、ついに最大の教団と大伽藍を形成するに到ったか、二つながらに、思想史を考えるについて欠くべからざる命題であろう。”
近日、時儀更ニ測リ難シ
『定家明月記私抄』堀田 善衞
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