Post #4459796
2026-08-06 00:14 UTC
読んでる
https://www.h-up.com/products/isbn978-4-588-60382-2
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@Django37564@fedibird.com 2026-08-06 01:05
「一九四五年三月九日深夜から一〇日にかけて、城東地域(江戸城から見て東)を中心に、米軍のB-29大編隊による東京大空襲が行われたことは周知の事実である。 一週間ほどを経た三月十八日の朝、堀田は、深川にいた知人の生死を確かめに、隅田川にかかる永代橋を歩いて渡った。警官や憲兵が多いことが気になっていたが、しばらくしてそのあたりに戻ると、当時としては異例なことに、焼け跡には全く似つかわしくない外車が何台も並び、さらに驚くべき光景が現れた。 天皇が焼け跡の「視察」に訪れていたのである。そこには焼け跡の整理をしていた空襲被害者たちがいた。堀田はこう書いている。「これらの人々は本当に土下座をしてら涙を流しながら、陛下、私たちの努力が足りませんでしたので、むざむざと焼いてしまいました。まことに申訳ない次第でございます。生命をささげまして、といったことを、口々に小声で呟いていたのだ」。 大日本帝国において、空襲で焼け出されるのは天皇にお詫びをしなければならない、いわば恥か汚点であり、大元帥(軍の最高位)の天皇は被害を受けた人に責められることなどなく、その者たちを「なぐさめる」立場だったのである。」 第三章 侵略認識の射程 堀田善衛『時間』『夜の森』の視点 より