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@Django37564@fedibird.com

Post #4459794

2026-08-06 01:14 UTC

「戦争という国家行為を考える際に、為政者の判断や責任を問う必要性がある。戦後、その当たり前のことがなされないまま、戦時中(さらには戦前)から連続する政治的な主体性の欠落がある、と言えよう。ただしこの焼け跡のエピソードは、戦後に時間の経過とともに薄れてゆく“臣民としての天皇への責任意識”がはっきりと見えるために強烈な印象を今日の読者に与える。自分たちは政治的主体でないので意思決定にはまったく預からず、しかし為政者の決定には全力で従い、その結果責任まで引き受けるという倒錯的状況がここには見られる。今日こうした臣民意識は薄れているだろうが、為政者の政治的決定に異議申し立てをし、あくまでも政治的主体たろうとする人々に対してバッシングや冷笑を投げかける形で、いびつさを増しながら変容して残っていると言えるかもしれない。  政治的な責任意識が欠落していると、強烈な主体的意識をもって抗日戦争を戦った中国の人々のことを理解できないのはある意味で必然なのかもしれない。」 第三章 侵略認識の射程 より

Replies (1)

  • @Django37564@fedibird.com 2026-08-09 04:53

    神子島健『支配と加害 中国侵略を描いた作家たち』読了。戦後1950年代の日本で描かれた武田泰淳『風媒花』、堀田善衛『時間』、火野葦平『赤い国の旅人』、五味川純平『人間の條件』の4作品を通じて、中国への支配と加害の認識を論じる。「加害を考え、国家が行使した暴力のことは「次の暴力行使」へのハードルとなりかねない。それゆえ、加害を考え、国家が行使した暴力の問題を指摘するということは、ナショナリズムにとってネガティブな意味を持つことになる。」(序章8頁より) 戦争の渦中に於いて人道的であろうとすることの難しさ、『人間の條件』の主人公・梶は満州国の国策企業で中国人労働者の待遇改善を求めるが、それが戦争協力にもなりえてしまうこと、また火野葦平のように軍人として、作家として日中戦争とかかわり戦後そのことに責任意識を持つも、植民地支配による民衆の苦しみを目にしていながらそれに対する意識の薄さ等、「どうしてそうならざるを得なかったのか」を作品と歴史からも繙いていく。 加害認識を持つことと表明することの難しさを考えるうえで、この本を読む前に鈴木裕子『フェミニズムと戦争協力』も読んでいたことが本当によかった。 #マストドン読書部 #読書

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