2026-07-27 01:12 UTC
“虐殺の責任を無視する日本は今も弱者に対する「ヘイトと不寛容、排他と差別にまみれた」社会である理由がここにある。「鮮人(朝鮮人)暴動という流言飛語とそれに便乗した自警団の暴虐は、大正時代の東京の歴史においてぬぐい去ることのできない汚点」(1972年『東京百年史』)であることを認めていた日本は、今や歴史を否定している。1974年以降、朝鮮人犠牲者の追悼式に毎年送られていた東京都知事の追悼文は、2017年に途絶えた。真実と向き合う姿勢は遠のいた”
“「虐殺」はないものの、今日も状況はあまり変わっていない。100年前も今も、政治権力は差別とヘイトを統治技術として利用している。「差別は低コストで人心を掌握できる便利な『政策』」であり、「差別行為に保証書を与えるのは行政」なのだ”
“「記憶」は野蛮への退行を防ぐ唯一の防壁だ。安田さんは、そういった意味で韓国と日本には決定的な違いがあると指摘する。「韓国には西大門刑務所や南営洞の警察庁人権センターがある」というのだ。ソウル南営洞の人権センターは、軍事独裁時代に民主化運動にかかわった人を拷問した『南営洞対共分室』の跡地を生かし、痛ましい歴史を記憶するための場所となっている。安田さんは「優れた社会は、自らがおこなった加害を凝視できる社会だ。日本には加害の歴史を伝える場所がない」とし、「そのような空間を作り、教育することから反省は始まるだろう」と述べた”
今年韓国で出版された『地震と虐殺 1923-2024』(マルコポーロ)の著者でジャーナリストの安田浩一氏へのインタビュー記事。
https://japan.hani.co.kr/arti/culture/56786.html
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